駿河町は、駿河国にある富士山が望見できるようにと、計画的に造られた町であった。このため道路の両側に店舗が建ち並んだ駿河町に立ち、南西方向を向くと、真正面に富士山が聳えているのが見えた。
また駿河町は日本橋のすぐ北にあり、江戸の商業の中心地の一角を占めていた。そのため駿河町には、商売が繁盛している店も多く、人通りも多かった。江戸っ子の間では、駿河町で見る富士山が江戸中で一番よいという評判も立っていた。
駿河町には呉服屋が何店もあったが、その中で最も有名であったのが、越後屋であった。越後屋は富裕な伊勢松坂の商人であった三井高利が、延宝元年(1673)に開いた店で、井桁に三の字を円で囲んだ家紋を商標にしていた。この家紋が、店舗の外側に掛けられた紺色の暖簾に白く染め込まれている。越後屋は通りに向かい合って二つの店舗から成っており、この絵の右側の店は絹織物を、左側の店は綿織物や麻織物を売っていた。店の前に立った看板には「万現銀売(よろずげんきんう)りにかけ値なし」と書いてあった。越後屋は掛売りをせず、現金売りをすることにより、商品の掛値より安く売るという商法を、最初に始めて成功した店であった。
この絵の駿河町は買物客などでごった返している。手前に描かれた女性の一行は、買った荷物を下男に背負わせている。前景の左の方では、大量の荷物を背負った二人の男は、客の注文した品を運んでいるのであろう。また右の方で通りへ入ろうとしているのは、日本橋の魚河岸から来た魚売りである。
駿河町と富士山との間には、遠近を際立たせるための雲が描かれている。この画法は『源氏物語』を題材にした絵によく使われていたことから、源氏雲ともいった。
>> 専用額について詳しくはこちら