上野の山から飛鳥山まで北西に伸びてきた台地を、王子で東流してきた石神井川が断ち切って幽邃な渓谷ができていた。ここの川の南岸の崖には何条もの滝が落ちていたので、下を流れていた石神井川は滝の川と呼名を変えていた。江戸時代に発刊されたある本は、滝の川について、「流れ清らかにして川は曲行なり。一歩ごとにながめの替る地なり。」と記している。
この絵の右端に一条の滝が落ちており、一人の男が滝に打たれている。この滝壺から崖下の川岸に沿って道が巡っており、その途中にある洞窟の前には、赤い鳥居が立っている。この洞窟内には吉祥天女が祀られており、これを岩屋弁天とか松橋弁天と言った。崖の上には松橋弁天社があり、その境内に、紅葉寺の異名のある金剛寺が建っていた。
王子一帯の地域は、紀州熊野に地形が似ていたので、紀州出身の八代将軍吉宗はこの地に非常な愛着を持ち、この地を江戸市民の行楽地として開発することにも力を入れた。彼は滝の川の流域には主として楓を、この川の下流にあった飛鳥山には桜を植えさせた。
この地は山あり、谷あり、川ありで地形に富み、また神社仏閣もあり、その上春は桜、夏は滝浴み、秋は紅葉、冬は雪景色と四季を通じて楽しむことができたので、季節を選ばず多くの行楽客で賑わった。
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