隅田川は、荒川の千住大橋より下流の名前である。隅田川はさらに下流の浅草辺りになると、浅草川と呼ばれ、またここは、浅草寺本尊の観音像が取り上げられた川であることから、宮戸川とも言った。また両国橋辺りから下流の大橋辺りまでを大川と言い、その両岸を大川端と言った。
この絵には、大山参りの団体である大山講の二組が描いてある。大山とは丹沢山塊の東端に聳える三角形の端正な山で、別名を雨降山ともいい、山頂には大山石尊を祀る石尊社が、中腹には不動尊を祀った不動堂が建っていた。もともと、農民が雨乞いするための霊場であったが、江戸時代中期頃から、江戸の町人らが大山講を組んで、主として6月27日から7月17日の盆の時期に、石尊社へ参詣に出掛ける風習が生じた。
彼らは、両国橋東詰にあった水垢離場で水垢離をして、身を清めた後、梵天と木太刀を押し立て、先達役が法螺を吹くと、一同口を揃えて「懺悔懺悔(ざんげざんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と繰返し唱えながら舟に乗って浅草川を渡った。この絵には、舟で川を渡る2組の大山講の団体が示されている。
この絵の左に見える、浅草川の岸が切れている所は神田川の河口で、河口近くに架かっていた橋を柳橋と言った。この橋の北には有名な柳橋という料亭街があった。
浅草川の上流に見える橋は吾妻橋で、遠景に聳えている山は筑波山である。
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