江戸城の北東の筋違御門内に、道が対角線状に交わるのを意味した筋違があった。幕府はこの交差点に防火や類焼防止のための広場(火除け御用地)を設けた。
この広場から、八つの道が江戸の各地へ放射状に出ていたため、江戸の人々はこの広場を八ツ小路と呼んだ。この絵に見えている、右から左へ対角線的に伸びている緑色の土手は、江戸の町へ水を供給していた神田川の堤防である。この神田川は、また江戸城を防衛するための外堀の機能も持っていたとされる。神田川の堤は、柳の木が植えられていたことで有名であった。
この堤の真中辺りに立っている小屋は番所である。この番所の脇の道は昌平橋を渡って中山道や奥州道へ通ずる重要な道であった。そのためこの番所の番人の役目は昌平橋を渡る人々を見張ることであった。最も厳しく見張られたのは江戸を離れる大名の夫人たちで、彼女らはいわば人質として江戸に住まわされていたからである。
この絵の広場には、武士、駕籠かき、天秤棒を担ぐ物売りなど数え切れない程の種類の人々が描かれている。その中の圧巻は、絵の左下の大名夫人の乗ったと思われる赤い屋根の駕籠を中心にした行列である。彼女の家来たちが持っていく長刀、槍、挟箱(はさみばこ)などは赤いビロードで包まれている。
この絵に見えていないが、絵の右下の枠外にあった筋違御門は、徳川家の菩提寺・寛永寺へ行く折に通る門であったので、この行列は、寛永寺から帰城する一行とも考えられる。
この絵の右上のこんもりした森の中に建っている社は、江戸で最も有名な神社の一つであった神田明神社である。(参照 名所江戸百景No.10神田明神曙之景)
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