この絵の表題にある月の岬は、特定の場所を示したのではなく、月のよく見える岬を指したものと思われる。芝高輪から品川にかけて、東海道は江戸湾に沿って通っており、この間の何れの台地からも、海の水平線上に上る月を、真正面に見ることができた。江戸時代の人々は、水に映る月を鑑賞するのを特に好んだと言われ、この辺りの海浜は、江戸における有名な月見の場所となっていた。そのためこの辺りには月の岬と称する場所の記録が幾つも残されていて、広重がその中のどの地を選んでこの絵を描いたかは定かでない。
しかし月見には酒宴がつきもので、観月の宴を催せる場所として、広重は品川宿の料理屋の一室をここに描いたものと思われる。通説では、品川宿の有名であった妓楼「土蔵相模(どぞうさがみ)」をここへ借りて来て設定したものだとも言われている。
月見とは一般に、秋の澄みわたった空に出る美しい月、特に8月15日の満月を見ることを言った。江戸時代の秋とは、陰暦の7、8、9の3ケ月をいい、真中の月である8月15日の満月は仲秋の名月とも称された。この絵の部屋の開け放たれた窓からは、すでに中天にまで上った満月が見えている。観月の宴は一段落したのであろうか、部屋には客の姿はなく、人影は左の障子に影絵のように映っている女と、右方の障子の背後に見える芸者らしき女のみである。
>> 専用額について詳しくはこちら