増上寺は、慶長三年(1598)に徳川家の菩提寺として、芝に建てられた寺である。この寺の寺域には六人の将軍と、その夫人や子どもたちの霊廟があった。このため将軍家の尊崇が篤く、その伽藍の広大さと壮麗さは、破格のものであった。この絵の左奥に見える、朱塗りの建物が大門であり、それに山門と本堂の屋根が続いている。
増上寺の大門に向かって右側に、俗称芝神明が鎮座していた。正しくは飯倉神明宮と言い、本殿には、伊勢大神宮の天照大神と豊受大神が祀ってあり、社殿は神明造りで千木のある屋根が特徴であった。この社の祭礼は9月11日から21日まで長く続いたので、「だらだら祭」などと言われた。祭の期間中、千木箱が売られ、また生姜市が立ち、生姜は穢(けがれ)を取ると言われ、これが神明(神のように明らかな心)に通ずるとして売られていた。
また、この社の境内には、芝居小屋、楊弓場、水茶屋、床店が並んでおり、江戸南郊随一の盛り場となっていた。
この絵の道は、絵の枠をはみ出した所で、江戸の中心へ向かう東海道と交わっていた。この絵の手前には田舎から出て来た一行が歩いている。増上寺への本山参りを終えたので、これから江戸見物に向かうのであろうか。その後の僧の一団は、増上寺で修行中の僧で、日暮れ近くの七ツ刻(午後四時)頃に十人、二十人と群を作って増上寺を出発し、灯ともし頃まで江戸市中を托鉢して回った。そのため彼等は七ツ坊主とも呼ばれていた。
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