江戸時代の初期、日本橋北の幕府御用達商人の住む町に続いていた神田に、御用達職人や、彼らに原材料を供給する商人たちの住む職人町が形成された。同じ職種に属する職人たちは同じ町に固まって住み、その職種名を取って町名とした。
当時の染物職人であった、藍染職人が集まって住んでいた町が紺屋町である。彼らは主として幕府の注文によって、渡された生地を染め上げ、それを幕府へ納入するのが仕事であった。しかし幕府の注文がない場合は、江戸市民の注文も受け付けて仕事をしていた。染め上げた布地は浴衣地で、屋根の上に櫓のように組んだ干場で乾燥した。幾条もの浴衣地が櫓から垂れ下がり、風に吹かれてゆらゆらしている有様は非常に風情があり、江戸の風物詩の一つとなっていた。
この絵の正面に垂れている、白い浴衣地には魚という漢字が染められている。これはこのシリーズの出版元「魚栄」から取った一字である。またその右の浴衣地に染められた四角形の模様は、広重の広の訓読みである、片仮名のヒロを図案化したものである。
広重は風に吹かれて揺れる浴衣地と浴衣地との間から、江戸城と富士山を見通して描いている。
紺屋町の北側に沿って藍染川が流れていた。ここは、紺屋の職人達が布地を藍染めするのに利用した川であろう。
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