この絵の表題には、利根川以外は、場所を特定する言葉は含まれていない。ばらばら松とは、並木のように整然として並んだ松の木を指すのではなく、ばらばらに立っている松の木のことを言っている。
浮世絵研究家の宮尾しげを氏は、古老から聞いた話から、この絵の手前の葦は中州に生えていたもので、この中州は利根川の水が運んできた砂が、河口に堆積してできた妙見島を指すと言っておられる。
また絵の右手前に、漁師が投げた投網が広がっているのが見える。この他にも投網で漁をしている舟が二艘描いてある。江戸時代に漁撈をするには幕府の許可が必要であり、利根川で投網による白魚漁をする許可が得られたのは河口に近い所であったという。
これらの点を勘案すると、ばらばら松のあった場所は、利根川の河口近くの堤防にあったと推量される。ところが、江戸時代に発刊された『江戸砂子』の名木類聚の松の項に「ばらばら松……中川」とあり、また狂歌師の太田南畝(蜀山人)も、中川口のばらばら松と千鳥を詠んだ狂歌を残している。もしこれらが正しいとすると、広重は中川を利根川と間違えたとも考えられる。
この絵の右には、船の上から投げられた投網が広がっており、網の目を通して白帆の舟の一部や、川岸も見ることができる。空に飛んでいるのは、白鷺である。
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