隅田川は千住大橋から少し東流して、南へ大きく方向を変えている。この曲がったところへ東北から合流していたのが綾瀬川である。この合流点より隅田川をやや南へ下った所に鐘が淵があった。この淵の名の由来には諸説あるが、寺の釣鐘、半鐘、巨鐘など、要するに鐘を舟で運んでいる途中に、鐘をこの淵で落として沈めてしまった。そこで鐘を引き上げようとしたが、水草が非常に繁茂していたとか、水底に住んでいた水神が、鐘を手放すのをしぶっていたとかで、鐘を取り戻すことができず、鐘は水中に沈んだままだということから、この淵に鐘が淵という名前が付いたというものである。
綾瀬川の河口は、この絵の中央、隅田川の対岸に描かれている。綾瀬川の方へ向かって、男が筏を竿で漕いでいる。この辺りに渡しがあり、江戸湾の潮が高くなると、潮が隅田川を遡ってこの辺りまで来たので、この渡しを、潮入りの渡しと言っていた。江戸時代には、荷物を運ぶためにこのような筏も使われていたという。
前景に描かれている木は、合歓木(ねむのき)である。この木は枝に小さな葉を付け、この葉は夜になると閉じて垂れ下がり、あたかも寝たように見えたのでこの名が付いた。この木は初夏になると夕べに紅色の美しい花を咲かせた。実は、この合歓木の花は、綾瀬川の土堤が名所として有名であった。広重は構図上の必要性から、この木を隅田川の手前まで引き寄せて、この絵を描いたものと思われる。
>> 専用額について詳しくはこちら