この絵の左下隅に見えるのが駒形堂である。この堂は東は隅田川に、西は奥州街道に面して建っていて、堂内には馬頭観音という、頭上に馬頭を頂き、憤怒の形相をした観音菩薩像が祀ってあった。江戸時代に、この観音菩薩は馬の保護神として、また旅の安全を守る神として広く信仰されていた。
その昔、浅草寺の本尊として祀られている観音菩薩像が、漁師の投げた網にかかって引き上げられたのは、この駒形堂の辺りだと言われている。仏像はともあれ、この辺りの川は、白魚、紫鯉、鰻、蜆などが名産であった。
駒形堂の前には、白粉(おしろい)や紅などの化粧品を売る小間物屋があり、長い竿の先に赤い布をくくりつけて、紅を売っている店であることを宣伝していた。また、この店の背後の川岸には材木屋があり、材木を立てて貯木していた。
この絵に真黒な雲を背景に、雨をついて空を飛ぶ一羽の杜鵑(ほととぎす)が描かれている。広重は、次の二つの詩句を連想してこの鳥を描いたものと思われる。その一つは、浅草の北にあった、新吉原の遊女紺屋高雄が、今しがた別れを惜しんだばかりの、仙台侯伊達綱宗に送った手紙の中の句「ぬしはいま 駒形辺り ほととぎす」であり、二つ目は小唄の出だしの「五月雨や 空にひと声ほととぎす……」である。
駒形堂の屋根越しに見えている橋が吾妻橋である。この橋は、大川橋ともいい、安永三年(1774)に、浅草花川戸町から本所中の郷竹町まで架けられた橋で、江戸時代に隅田川に架けられた橋の中では、最後の橋であった。
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