増上寺は、三縁山六度院と号する浄土宗の関東大本山であった。徳川家康が江戸へ入府した頃は日比谷にあった。徳川家の宗旨が浄土宗であったことから、家康はこの寺を徳川家の菩提寺に指定し、慶長三年(1598)に芝へ移して大伽藍を建立した。この寺の境内には、六人の将軍の御霊屋(みたまや)の他に、将軍の母子や御台所などの廟もあった。
増上寺は徳川家の絶大な庇護を受け、境内には壮大な山門、五重塔、鐘楼などが建てられていた。この絵の右手前の建物は五重塔である。五重塔というのは、もとは仏の舎利、持物、髪などの聖なる物を納めるために建立されたものであるが、後年になると寺の豪華さや荘厳さを増すために建立されるようになった。
境内にあった別坊には多くの僧が修行しており、彼等は、日暮近くの七つ刻(午後4時)になると江戸市中への托鉢に出かけた。その有様がNo.79に示されている。
増上寺の南を流れている川を赤羽根川と言い、この川に架かった橋を赤羽根橋と言った。いずれもこの地が、赤羽根と呼ばれていたことから付けられた名前である。この川の対岸にある白い壁で囲まれた大名屋敷は、久留米藩主有馬中務大輔(ありまなかつかさたいふ)の上屋敷であった。この屋敷は増上寺警備の役割も持っていたので、邸内の岡には江戸で最も高い火の見櫓が立っていた。
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