この絵に描かれている川は神田川で、この川に架かっている橋は水道橋である。この川の水はもともとは、この川の上流にあった関口の洗堰で、神田上水から水道用の水を取った後の余水が流れて来たものである。一方水道用の水は、台地の中腹を伝って流れて来て、この絵の地点では神田川より水位が上がり、懸樋で神田川を渡り、江戸城内、神田、日本橋の町屋へと給水されていた。懸樋はこの絵に描いていないが、水道の通る懸樋があったことから、その上流の人の通る橋を水道橋と呼ぶようになった。
神田川の対岸の台地を駿河台といった。この台地は、ここから駿河国の富士山が望めたとか、駿河国で徳川家康に仕えていた武士たちがここへ移り住んだとかという理由で、駿河台と呼ばれるようになった。
近景に鯉幟が大写しに描いてあるので、この絵は端午の節句の風景であることを示している。鯉は滝登りが出来るほどの出世魚であり、男の子どもを持つ家は、子どもの出世を願って鯉幟を立てていた。駿河台の武家の家では、家の中には兜を飾り、戸外には鍾馗の絵幟や吹流しを立てた。江戸時代に鍾馗は男子の守り神と見做されていた。他方町屋では家の中に武者人形を飾り、戸外に鯉幟や吹貫などを立てた。この絵の右下隅に兜を持って歩いている子どもが描かれている。この男の子は、武士の子どもで、家の中で飾る兜を持って帰るところであろうか。
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