江戸の中心日本橋から出発した東海道の最初の四丁の長さの町を日本橋通一丁目といった。ここは江戸の商業の中心で、この通りの両側には伊勢、近江、京都の商人の江戸店(えどだな)が軒を連ねていた。彼らは自分の出身地で生産されたものを中心に売っていた。この絵は最初の一丁を南から北を見て、通りの東側を描いたものである。
この絵の右手の最初の店は、近江商人経営の小間物や呉服を売る白木屋で、昭和の中頃までその名を残し、後に東急百貨店に買収されるまで営業していた。白木屋の手前では農夫が真桑瓜を売っており、客の一人がそれを齧っている。その向こうの男は、東蕎庵というそば屋から蒸籠(せいろう)を担いで出て行く出前持ちである。
道の真中で、御幣を頂き、縁から緋木綿を垂らした二重の傘を差し、その下を歩いて行く数人の一団は、大道芸住吉踊、俗称かっぽれの一行である。彼らは団扇(うちわ)で拍子をとり、「カッポレ、カッポレ、甘茶でカッポレ」と囃して、傘の周囲を回りながら踊った。そのすぐ後に三味線を持って歩いている粋な女は女太夫であろう。彼女は正月には鳥追いといわれ、 2~3人連れで編笠を被って三味線を弾きながら、正月の祝い唄を歌って門付(かどつけ)をして歩いた。正月が過ぎると編笠を菅笠に替えて冠った。
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