この絵は、前景に日本橋の欄干と高欄擬宝珠(ぎぼし)を描き、橋上から日本橋川の南岸に並んだ河岸を望んでいる。擬宝珠は日本橋の格式が高かったことを示している。日本橋の下流に見えるのが江戸橋であり、両橋の間の日本橋川の南岸には、塩干物を扱っていた河岸や、房州木更津との間を往復する舟の集まる木更津河岸があった。
この絵には描かれていないが、日本橋と江戸橋の間の北岸には、江戸で最も活気のあった魚市場の魚河岸があった。朝早くから、魚を運んできた舟が魚河岸に横付けにされ、陸上の魚屋が魚を受け取り、店の中でそれを板の上に並べて売った。魚河岸へ最も早く魚を買に来たのは幕府の役人で、彼らは最も新鮮な魚を、最低の値段で仕入れていったという。
人影は見えないが、今魚河岸で仕入れたばかりの鰹を盤台に入れて、天秤棒でかついで売りに行く棒手振(ぼてふり)が橋を渡ろうとしている。何かにつけて初物を好んだ江戸っ子たちは、特に初鰹については目が無く、高値をものともせずに競って買い求めたという。相州の鎌倉、小田原沖で釣った初鰹が最も美味であるとされていた。初鰹を詠んだ俳句に「目には青葉 山ほととぎす 初鰹(山口素堂)」と「鎌倉を 生きて出でけん 初鰹(芭蕉)」がある。
この絵の江戸橋下流の白い倉庫の背後に朝日が顔を出しており、この絵は早朝の情景であることを示している。
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