江戸の武士や金持の商人たちの、贅沢(ぜいたく)な楽しみの一つは、屋形舟や屋根舟などの屋根の付いた舟に乗り、芸者を侍(はべ)らせて酒宴を張り、隅田川の両岸の景色を眺めながら、川を上ったり下ったりすることであった。屋形舟は大型で四方が障子で囲ってあり、主として武士が使用し、屋根舟は四方を簾(すだれ)で囲ってあり、金持ちの商人が使用したという。
この絵の前景には屋根舟の舳(へさき)の部分が描かれ、簾を上げた舟の中には、芸者と思われる背の部分のみが描かれている。芸者を侍らしているのは金持の商人であろう。舟の周りに飛び散る桜の花弁は向島の大堤から飛んできたものと思われる。この舟は向島寺島村にあった、竹屋の渡しの渡し場に繋がれていたのであろう。
隅田川の対岸に見える、五重塔と本堂は金龍山浅草寺である。浅草寺は、近くの隅田川で漁師の投げた投網にかかって、引き上げられた観音像を祀っていて、江戸時代には庶民信仰の中心となっていた。金龍山という山号は、昔、天から金鱗の龍が舞い降りて来たことにちなんで付けられたという。
屋根舟の部屋を通して見えているのが吾妻橋で、浅草の花川戸町から、対岸の本所竹町へ架けられていた。
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