西の隅田川と、東の中川とを結ぶ最北の運河を北十間川と呼び、これに亀戸天神の西を南北に通っていた運河の横十間川が突き当たり、その形は変形したT字型になっていた。その西南の角一帯を柳島といった。昔、柳の木が多い土地であったことからこの名が付けられたという。
柳島の角地に、会席料理で有名な会席茶屋「橋本」があった。その南に道を隔てて、赤い塀に囲まれた俗称妙見様が建っていた。この寺に祀られていたのは北辰妙見大菩薩であり、この菩薩は霊験あらたかで、厄災を除き、福寿を招くという御利益があるとされていた。この堂の前には巨大な松の木があり、「影向(ようごう)の松」などと呼んでいた。いわれは妙見菩薩がこの木に降りて来たからだと言われている。
この寺は江戸の人々の間で信仰が篤く、毎月一日、十五日、二十八日の妙見参りの日には多くのひとで賑った。中でも芸能人や浮世絵師の信仰が篤かった。歌舞伎役者中村仲蔵もこの寺へ日参している間に忠臣蔵の定九郎の役作りのヒントを得たという。また広重の先輩の葛飾北斎も、この寺で霊感を得て、北斎を名乗るようになったのだといわれている。
北十間川の対岸には田園が広がっており、遮るものが余りなかったので、関東平野の北の端にあった筑波山をよく見ることが出来た。
横十間川に浮かぶ二艘の屋根舟は、「橋本」の味と、妙見様の御利益を求めにやって来た人たちであろう。屋根舟の四方が簾(すだれ)で囲ってあるので、客は金持の商人たちであると思われる。
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