山下町は、江戸城の山下御門を出た所にあった町である。この絵は、正月に山下町から日比谷と外桜田を、さらに遠方に富士山を眺めたものである。
左側下の隅に、正月の飾りである門松が立っている。門松は通常、家の入口の前の両側に立てられた。門松は一般に、松の枝、竹の茎、梅の小枝を組み合わせたもので、それぞれ長寿、繁栄、忠実を象徴していた。
正月の女性の遊びは、羽根突きであった。正月には、女性たちは戸外に出て羽子板で羽根を突いて遊んだ。この絵の両側から出ている板は、羽子板の上半分である。左側の羽子板には竹が、また右側の羽子板には歌舞伎役者が描かれている。片一方の一人が羽子板で突いた羽根が、空中を飛んでいる。
正月の男性の遊びは、凧揚げであった。この絵で最も高く揚がっている凧は、奴の形をしている。江戸時代には、奴は武士の奴僕(どぼく)であった。この奴凧は、下級武士や町人たちの間で流行っていた。彼らは奴凧を上級武士の頭の上に揚げることによって、日頃の鬱憤を幾らかでも晴らしていたのであろう。
この絵の中央、堀の対岸に見える赤い門のある屋敷は、肥前佐賀の城主松平肥前守の上屋敷である。この屋敷は、正月に背の高い門松を立てることで有名であった。この屋敷の背後には大名屋敷が続いており、邸内に建てられた火の見櫓が幾つも描かれている。
堀に取り巻かれている右の石垣の内側一帯は、大名小路といわれ、外様大名の上屋敷が多く並んでいた所である。
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