目黒の恵比寿近辺の台地は、南を流れる目黒川に向かって崎のように突き出た所が幾つもあった。その一つが鎗が崎で、ここは4~5丈(12m~15m)の高さのある崖であった。鎗が崎は眼下に目黒川を、その先に広大な田園地帯、さらに遠方には霊峰富士山を見渡せる絶景の地であった。
古来日本人の間には、山岳を神として信仰する風習があり、江戸時代には富士山が盛んに信仰された。そして富士山を崇拝するものたちは、富士講という組織を作り、集団で富士山へ登るようになった。ところが婦女、老人、子どもたちは富士山へ登ることは不可能であった。そうした人々のために、富士講の人々が江戸の各地に模造富士を築き、これに登ることによって、実物の富士山へ登った気分を味わわせた。この山の傾斜はなだらかにして、そこへ九折(つづらおり)の道を付け、人が容易に登り降りできるように造ってあった。
目黒の鎗が崎にも、富士講の人たちが文化九年(1812)に模造富士を築造した。この模造富士は3~4丈(9~12m)あったとされ、4~5丈(12~15m)の高さの鎗が崎の上に立っていたので、実物の富士山を眺めるのにも最高の模造富士であった。文政二年(1819)に、ここの南東に模造富士が築造されたので、ここの模造富士は元富士と呼ばれた。(参照 名所江戸百景No.24)
実物の富士山の公式の山開きは6月1日であった。この日には模造富士も登山者で賑った。
落語「目黒のさんま」で、殿さまがさんまで一膳茶づる場所が上目黒元富士となっている。
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