旅情を誘う金杉橋から大木戸までの東海道
収図範囲は、港区南部と品川区一帯で図の南半分、高輪大木戸以南、東海道線より西側の旧芝区、新堀川より南。東海道と二本榎の間の寺院の多くは、明暦の大火後に移転してきた。東禅寺は初代英国公使オルコックの宿舎となり、水戸攘夷派の襲撃を受けた。泉岳寺はいわずと知れた赤穂藩浅野家の菩提寺。承教寺には元禄期の異色画家・英一蝶が眠る。東海道最初の品川南本宿あたりも寺院が多い。海蔵寺は遊女などの死者が投げ込まれ、「品川の投込寺」といわれた。東海寺は家光の帰依を受けた沢庵宗彭が開祖。御殿山は名高い桜の名所。目黒川旧河口に唯一陸上の御台場がある。
金杉橋を渡り東海道をしばらく歩くと、落語『芝浜』の舞台「雑魚場」の跡の沙浜がある。薩州クラヤシキは島津家の蔵屋敷。西郷と勝の江戸開城交渉が行われた。高札場があった元札辻を過ぎてさらに行くと、江戸の出入り口・車町の高輪大木戸に到る。伊能忠敬の測量行はここから始まった。西の細川越中守は、大石内蔵助ら17人の赤穂浪士が切腹した屋敷。近くの黒鍬組は城内の修築や雑務などを担当した。松平主殿頭は肥前島原藩の中屋敷で、のちに慶応義塾の敷地となる。