紀伊半島の南端の紀伊国に、有名な熊野権現社があり、その摂社の一つに祀られていた、若一王子を勧請して祀ったのが王子権現社である。それ以後この村は王子村と言うようになった。
紀伊国の出身であった八代将軍吉宗は、王子権現社のあった辺りの地形が、熊野によく似ていたために、この地に非常な愛着を覚え、またこの地を庶民の遊楽地とするために、この地一帯の開発に力を入れた。
1.紀州熊野に流れていた川にちなんで、ここを流れていた石神井川を、音無川と名付けた。
2.飛鳥山に桜の木を植え、江戸庶民のための桜の名所とした。
3.音無川の上流の滝の川の両岸にも桜の木や楓を植えた。
この絵の正面に、音無川に設けられた堰埭(えんてい)が描かれている。この川の上流の滝の川岸には、小さな滝が幾つも流れ落ちていたが、それらに対してこの滝が大きかったので、世俗では大滝と唱えていた。この大滝の上に見える、林の中に川に面して金輪寺が建っていた。この寺の舞台は、飛鳥山に咲いた桜の景観を楽しむことができる絶好の場所であった。この絵の左遠景に見える萌黄(もえぎ)色の山が飛鳥山であり、その麓に満開の桜が咲き誇っている。飛鳥山を含めた王子地域は、日本橋から2里(約8km)という日帰り可能な距離にあり、春は桜の花見、秋は紅葉狩を楽しむ人々で賑った。
>> 専用額について詳しくはこちら