駿河台は神田川が掘られる前は湯島とつながっていた
収図範囲は、内神田・神田司町・神田淡路町・神田小川町・神田駿河台・猿楽町・神田神保町・神田錦町・一ツ橋・西神田・三崎町・飯田橋・九段北。神田橋御門の外側の地を神田と呼ぶ。神田のなかで神田川沿いの高台が駿河台と呼ばれるのは、駿府で家康に仕えていた旗本たちがこの地に屋敷を構えたため。駿河台の淡路坂を上ったところに太田姫稲荷がある。太田道灌が江戸城築城の際、京都から勧請して鬼門の守りとしたという(現在は移転)。能楽の観世太夫が屋敷を拝領した表猿楽町を経て神保小路から一ツ橋に向かうと蕃書調所がある。その隣りの三番御火除地は、大塚へ移る前の護持院があった場所。飯田町の名は、江戸入府の際に家康を案内した飯田喜兵衛に由来する。飯田町を東へ下りると堀留に出る。神田川掘削以前の平川の入堀で、別名を菰が淵という。俎板橋を渡ると小川町に出る。小川町を神田川方面に向かうと講武所がある。国防強化のために幕府が設けた施設で、剣術指南だけでなく洋式調練や砲術教授も行っていた。講武所近くの水道橋の東にある橋は、神田上水が神田川を渡るために架けられた屋根付きの神田上水懸樋。