上野の山から西北の同じ台地上に、諏訪の台、道灌山と名前を変えた土地が続き、この台地が王子の滝の川で切断される手前に飛鳥山があった。この山は諏訪の台と同様に東方に広がった眺望は絶景であった。この山の東の縁の崖上からは、眼下に広がった田圃や畑の平地が見え、この平地の縁を荒川(隅田川の上流)が左から右へ溶々として流れ、またその先には、別の川である古利根川(江戸川)も流れていた。また地平線上には左に日光の山々が連なり、右には筑波山が聳えて見えた。
江戸一番の桜の名所は上野の山であった。しかしここは将軍家の菩提寺の寛永寺があって取り締りが厳しく、町民が思い切り羽を伸ばして、桜見物をするわけにはいかなかった。
そこで八代将軍吉宗は、町民たちが気楽に桜見物ができるようにと、飛鳥山一帯に桜の木を数千本植えさせた。飛鳥山は、江戸の町民にとって上野の山よりは遠方とはいえ、2里(約8km)であり、日帰りできる圏内であったので、桜見物には大勢の江戸の町民たちが押しかけた。
この絵には、飛鳥山の桜見物の様子が描かれている。芝生に毛氈を敷きゆっくり桜見を楽しむ者、踊ってうかれる者、山を散策しながら桜見物をする人たちが見えている。山の縁では土器(かわらけ)を投げて興じている者もいる。
なお、飛鳥山の名は、山中の地主山という小高い土地に、飛鳥明神を祀る社があったことに由来するという。
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