昔千駄木辺りの山は、雑木林に覆われていた。千駄木という地名は、この山から一日に千駄(馬千頭分)の薪を伐り出していたことから名付けられたという。またこの山から東へ下る坂があって、坂の傍らに、団子を売る茶店が建っていたことから、この坂を団子坂と言うようになった。この坂の周囲は景色が素晴らしかったばかりでなく、遥か遠方には江戸湾の佃島や、その南の品川沖までも望見できるほど、眺望のよかった坂である。
この坂の上には、この素晴らしい景色を売物にした料理屋や茶店も建てられており、この絵にも料理屋の開放した窓から外の景色を眺めている客が描かれている。
団子坂の周辺には多くの植木職人が住んでいて、自分たちの屋敷内には四季を通じて咲く花を植えていた。菊の季節になると、これらの植木職人が坂の両側に菊人形を飾った。花屋敷とはこうした花の植わっている植木職人の屋敷を指したのであろう。
遠景と近景を区切る画法である源氏雲の下に描かれた池と桜の木のあった場所については明確な説はなく、ここより東南にあった、根津権現社の境内にあった池と、その周囲に植えられた桜の木だとする説もある。この境内は色々な種類の桜が順番に咲き、桜の名所として有名であった。
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