上野の山から台地の上を西北に取り、谷中を通り過ぎると日暮里に出る。日暮里の台地の一角に諏訪の台があった。この台地の名前は、ここに諏訪神社が鎮座していたことから付けられた。この神社は、江戸城を最初に築いた太田道灌(1432-1486)が、この台地に江戸城の出張りとしての砦を築くと同時に、鎮守の神として諏訪明神を祀ったのに由来するとされている。神社の境内には近くの寺院と同様に桜の木が植えられ、桜の名所ともなっていた。特にここは八重桜が多かったとされる。
またこの神社の境内からは、北と東一帯に広がる低地を一望することができ、その景色は江戸有数の絶景と賞された。低地一面は田圃や畑で、右手には浅草、三河島、尾久等の村落が見渡せ、その先には荒川(隅田川の上流)の流れが白布を敷いたように見え、さらにその遠方には古利根川(江戸川)が樹間に見え隠れし、川を通行する舟の帆影は白鷺のように見えたという。さらに地平線の果てには右に筑波山、左に日光の山々までがまるで絵のように見えたという。
広重は花見時に、眼下に広がる絶景を眺めながら花見を楽しむ遊客たちの有様を描いている。諏訪神社は、この絵の左枠外にあるため描かれていないが、境内には縁台が幾つも並べられ、その上に座ったり、腰かけた人々が花見を楽しんでいる。この台地の麓に見える日暮里村も、桜の花に埋まっているようである。
>> 専用額について詳しくはこちら