北斎は壮年期に、数種の東海道の揃物を発表しているが、不思議とそのいずれの保土ヶ谷の図にも宿駅の賑わいを描かず、街道の往来を描いている。この図も「東海道程ヶ谷」としていながら、一連の東海道シリーズと同様な、街道の往き交いを捉えたものとなっている。
ここでは駕籠かきや馬子、虚無僧などの往来が前面に描かれているが、やはり主題は松越しにみえる富士の面白さであったと思われる。というのは、本図にやや遅れた天保6 年(1835) に刊行された、『富巌百景』二編には、同様な構想の「松越の不二」が収められているので、それと知られる。
ちなみに、街道のこの場所は品野坂辺であろうとされている。
>> 専用額について詳しくはこちら