この絵に上野の山は、遠近を示す画法である「すやり霞」の上に僅かに描かれている。この上野の山の南東の麓に、山下という広場の火除地があった。この火除地は、火事が徳川家の菩提寺のある上野山内に及ばないようにと幕府が造成したものである。
この火除地は、広小路のように防火や類焼防止のために設けられたものであるが、この広場には茶見世、講釈場、見世物、食物店、書物屋、その他大道芸人も出て江戸でも有数の盛り場となっていたという。山下は、この絵の中央に見える、五條天神の前を通る道を入って行ったところにあり、この絵には描かれていない。
広重は山下への入口にあった「伊勢屋」という料理屋を描いている。看板に「紫蘇(しそ)めし」とあるが、店内には魚も並べられているので、新鮮な魚料理も出したものであろう。
上野の山は、江戸随一の桜の名所であって、桜の花の季節ともなると多くの江戸の人々が押しかけた。この絵の左下隅に、揃いの蛇の目日傘を差した御殿女中と思われる一行が描かれている。この絵のような、紺紙と白紙の蛇の目傘を、日傘に使っていたのは、御殿女中といわれている。彼女らは寛永寺を詣でるついでに、花見もして行くのであろう。
この絵の手前の道を右下の方向へ行った先を「下谷広小路」(参照 名所江戸百景No.13)といった。
空には地上の麗かな気分に調子を合わせるかのように、燕の群れが飛び回っている。
>> 専用額について詳しくはこちら