この絵の作者は落款に示されているように、二代目広重である。「名所江戸百景」の出版元である魚栄が、二世広重を引き立てる目的で、彼の絵をこのシリーズに加えたものと思われる。
赤坂桐畑とは、赤坂から山王権現社のある山王台地の麓に沿って、虎の門まで達していた溜池の西岸で、桐の植わっていた所を指す。この池は周囲の台地の湧水が流れて来て、自然に溜まった池であることから溜池と呼ばれていた。この池の西北の池畔の空地で、桐の木が栽培されていて、これを桐畑と言っていた。この絵の前景にその桐畑の一部が描かれている。初代広重はこの桐畑を前景にして、溜池の南方を望んだ景色を描いているが、二世広重は逆に桐畑を前景にして、溜池の北方の池畔を望んで描いている。
溜池は江戸城の外堀の役目を果たしており、その北岸には江戸城の赤坂御門へ向かう坂道があった。この絵では迫り来る夕闇と、篠突く雨で暗く煙る中を、傘を差して坂を往来する人々が描かれている。坂を上り詰め、赤坂御門を潜って入った左には、紀伊家、井伊家、尾張家の屋敷が続いていた。この絵の遠景に見える森は、これらの屋敷内にあったものであろう。
桐畑の手前の道を歩いている4人は、赤坂御門を目指しているのであろうか。前を行く2人は武士で、共に長合羽を着、下駄を履き、蛇の目傘を差している。長合羽には刀が差せるようにと、穴があけられていた。供の2人は中間と思われ、傘の代りに菅笠を被り、短い合羽を着ている。この合羽は桐油合羽といい、赤い紙に桐油を引いたものである。色が赤いところから、俗称赤合羽ともいわれた。なお、この2人が何を履いているかについては、この絵からは定かではない。
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