この絵の暗闇の中に、ひときわ高い森に覆われた岡が見える。ここに関八州に散在する、稲荷の総元締めである王子稲荷社があった。この社は北向きに立っていて、前方に広がる田圃を見下ろす位置にあった。農民の信仰によると、ここの神は、春農耕の時期になると、山から田圃へ降りて来て田の神となり、秋収穫が終わると山へ帰り山の神になるとされていた。稲荷社につきものの狐は、もともと穀物に宿っている神霊の使いの役を果たしていたが、人間から見ると神秘的な霊力を持つ動物であったので、後には狐自身も神として稲荷社に祀られるようになった。従って狐は農耕と非常に密接な関係があったわけである。
王子稲荷の前の田圃の中に、一本の大きな榎が立っていた。毎年大晦日になると、関八州の狐が何千となくこの木の下に集まって来た。彼らは競ってこの木を飛び越え、高く飛んだ者から順に官位を決めた。そして宮廷の高級女官である、命婦(みょうぶ)の装束に着替えて王子稲荷へ行き、関八州の狐の会議を開いたと言われている。榎の木の下に集まって来た狐は、どれも狐火を発したので、農民はその数を数えて、翌年の農作物の作柄をを占ったという。このため大晦日には、王子稲荷は参籠する人で大変賑わった。
広重は、このような言い伝えをもとにしてこの絵を描いている。榎の木の下に集まった狐の口から、焔がめらめらと燃え上がったり下がったりしている。またすでに命婦の装束に姿を変えた狐たちは、田圃を王子稲荷の方へ向かって歩いている。
>> 専用額について詳しくはこちら