高田の馬場
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名所江戸百景 No.115高田の馬場

 高田の馬場は、越後高田藩主で、家康の六男松平忠輝(ただてる)の生母高田殿が、景色のよい遠望を楽しむために芝生を植えさせて庭園を開いた所で、高田の名前はこれから付けられた。またここは、昔源頼朝が、平家追討の兵を勢揃いさせたという旧跡のある所でもあった。
 三代将軍家光は、寛永十三年(1636)に、旗本たちの馬揃(うまぞろ)えや、馬術の練習のため、ここに馬場を築かせた。馬場の大きさは、東西へ六町(約650m)、南北へ三十余間(約55m)で、横に長い馬場であった。この馬場の外側は馬術の練習用に、内側は弓の練習用に使われていた。的(まと)は大きな輪に皮を張って作り、的が破れないようにと、矢の矢尻は布でくるんであった。
 この馬場の南方に、弓矢の守護神を祀った穴八幡宮(あなはちまんぐう)があり、歴代の将軍が国家安全を祈って、一代に一度ずつこの馬場で流鏑馬(やぶさめ)の神事を奉納していた。またこの馬場は、後になって忠臣蔵に出てくる堀部安兵衛が、叔父の仇討をした所としても有名となった。
 この辺りは、周囲が畑に囲まれていて遮るものが少なかったので、南南西に富士山を遠望することが出来た。江戸時代は富士信仰が盛んで、体力がなく実際に富士登山が出来ない人のためにと、江戸の各地に人造富士が築かれた。その最初の人造富士を安永九年(1780)に造ったのが、高田に住んでいた先達の藤四郎であった。この山は高田富士といわれて、馬場の南方水稲荷(みずいなり)神社の裏手にあった。

高田の馬場


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