目黒の台地から、下目黒の方へ下りて行く坂の一つに行人坂があった。この坂にある大円寺は、山形の羽黒三山の一つである湯殿山の行者、すなわち行人が、寛永の頃建立した寺であることから、この坂を行人坂と言うようになったとされている。
行人坂を下ると、目黒川に架かった石造りの橋があった。この橋は橋脚がなく、横から見ると太鼓の胴のような格好をしているところから太鼓橋と言っていた。この橋は享保の頃、木食上人が川の両岸より石畳をせり出して橋にしたものと言われている。
行人坂のある台地は南西に向かって開けており、その斜面から西に沈む夕日が美しく見えたので、この台地を夕日の岡と言った。昔は楓の木が多く植わっていて、晩秋ともなると紅葉が夕日に映えて、素晴らしい景観を呈していたとされるが、天保七年(1836)に発行された『江戸名所図会』には、「今は楓樹少なくただ名のみ存せり」と記されている。この絵の右下隅に屋根だけ見えるのは「しるこ餅」を出していた正月屋とされている。
この橋を渡って目黒道を右の方へとると、「目黒三社」として名高い目黒不動、大鳥神社、金比羅大権現や、さらに蛸薬師へ通じていた。由緒ある社寺に加えて、江戸から二里半(10km)という比較的近距離にあったため、信仰を兼ねてこの景勝地を通過する人も多かった。
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