比叡山にある延暦寺は、京都御所の鬼門(東北)鎮守のために建てられた寺であった。徳川家康も上野の山が、江戸城の鬼門に位置していたことから、この山に延暦寺を模した伽藍を幾つも建立した。さらにこの山には、京都の清水寺を模した清水堂もあった。この堂の舞台からは眼下に不忍池、中島弁財天社、池の対岸には、本郷台地に建ち並んだ大名屋敷を望むことができた。
上野の山には桜、松、紅葉など、色々な種類の木が植えられていた。中でも桜については、大和の吉野とほぼ同じ桜が楽しめるようにと、咲く時期を異にする彼岸桜、吉野桜、山桜、八重桜などが工夫を凝らして植えられており、上野の山は江戸随一の桜の名所であった。その中でも、清水堂の舞台からの桜の眺めは最高であったという。
上野の山へ桜見に行くことは、町人も許されていたが、上野の山には、徳川家の菩提寺である寛永寺が建立されていたため、同心(今の警察官)の取り締まりを受けていた。町人たちは、ここで酒を飲むことは許されていたが、魚を食べること、三味線を弾いたり太鼓を叩いて騒ぐことは許されなかった。その上夕方暮六ツ(午後六時)には退出しなければならなかった。
広重は清水堂の周囲に爛漫と咲いた桜を描いている。舞台下の道路脇には、奇形で知られる月の松も見えている。(参照 名所江戸百景No.12上野山した) 堂の前にあった不忍池は近江の琵琶湖を擬し、この地に突出した半島の先端に建っていた弁天社は竹生島(ちくぶじま)の弁天社を模して建てられた社であった。
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