小石川の地名は「小石川大下水」の流れから
収図範囲は、春日通りを中心とした小石川・春日・小日向・大塚一帯。伝通院は、慶長7年(1602)に家康の生母・於大の方(伝通院)が没した際、遺言によりこの寺に葬ったことから伝通院と号するようになり隆盛を極めた。千姫の墓もある。伝通院から小石川大下水のほうへ下ると、コンニャク閻魔の異名がある源覚寺がある。現在も眼病治療に霊験あれかしと蒟蒻を供える。小石川の流れは現在の小石川後楽園の水戸殿に注ぐ。流れを遡り松平駿河守下屋敷のところに小石川養生所があった。また近くに5代将軍綱吉の屋敷跡である小石川御薬園が見える。