南品川から、南方の大森にかけての海岸を鮫洲(さめず)海岸といった。名前の由来は、品川沖で漁師の網にかかった鮫の中から出た、観世音の木像を祀った海晏寺(かいあんじ)の寺伝からとか、近くの砂水(さみず)の海岸へ一丈余りの鮫が上り、これは当時流行していた疫病の祟(たたり)ではないかと恐れて、その頭を祀った鮫頭明神があったからとかいわれている。
鮫洲海岸は海苔(のり)の栽培が盛んな漁村であった。海苔というと、浅草付近の隅田川で取れた浅草海苔が有名であったが、江戸の町の拡大とともに、産地が隅田川河口から江戸湾へ移動して行き、川の淡水が海水の塩水と交わる品川、大森、羽田辺りが主産地となり、大森辺りで取れた海苔の一部が、浅草海苔として売られるようになった。
漁師たちは秋の彼岸(ひがん)前後に、水深の浅い海中にヒビと称する、枝つきの小木や木の大枝(粗朶(そだ))を立てておく。秋の土用過ぎになると海苔が粗朶に追々着成するようになる。そこで漁師たちは、朝早く起きて小舟に乗り、ノリヒビという粗朶の間を回って海苔を摘み取って帰り、これを細かく刻み、漉(す)いて、簀子(すのこ)の上で乾かして、乾海苔(ほしのり)に仕上げるのである。海苔の栽培は翌年三月までの寒い期間に限られていた。寒中にとれた海苔が一番よいとされていたのである。
遠景に見える山は、山の形から筑波山であろう。
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