江戸の遥か東方を流れていた、利根川(江戸川)の東の高台に真間はあった。ここは紅葉の名所として江戸市民の間で有名であった。表題にある「真間の紅葉」とは、弘法寺の祖師堂の前に立っていた、樹齢千年と言われる高さ4~5丈もある、二股の楓の木を言った。享保年間(1716-1736)に、ここを訪れた八代将軍徳川吉宗が、この紅葉をみて感嘆したことから、この木は、上覧の紅葉ともいわれるようなったという。この木がこの絵の近景に大写しに描いてある。
また手古那の社は、この木の二股になった幹と幹との間の左下に描かれている。この社は手古那伝説に由来する。昔ここに手古那という手伝い女が住んでいて、よく井戸へ水を汲みに来た。彼女は非常に美しかったので、男たちが競って言い寄ってきた。しつこい男たちを扱いかね、また長くない一生をはかなく思った彼女は、ある日真間の湊へ身を投げて自殺してしまった。八世紀の奈良時代に真間を訪れた、萬葉歌人の山部赤人や高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)は、手古那の可哀想な身の上や奥津城(墓)をとりあげて詠んだ短歌や長歌を残している。このことから手古那伝説がいかに古いかを知ることができる。後世になって住民が手古那の墓の跡へ祠を作り、手古那明神として祀った。この社は安産と小児疱瘡(ほうそう)に霊験があるとされ、婦人や小児の参拝者が絶えることなく訪れたという。
二股の幹と幹の間の中央辺りの小川に架かる橋が見えている。昔この辺り一帯には葦や萱が生えた砂洲が幾つもあり、砂洲と砂洲を結ぶ橋を継ぎ橋と言っていた。
ここへは多くの人々が、江戸から舟で物見遊山にやって来た。彼らは小名木川、新川を経て、江戸川を遡ってここまで来た。
遠景の山は、筑波山の形をしているが、実際にこの方向に見えたのは、房総半島の山々の筈である。
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