大はしは、深川と日本橋との往来の便宜を図るため、幕府が元禄六年(1693)に、日本橋浜町から深川へ隅田川を渡して架けたものである。これより上流の両国橋の旧名が大橋であったので、この橋を新大橋と名付けた。この橋が架けられる前は、人々は渡し舟に乗って隅田川を渡った。橋が架けられた後も、渡し舟は残され、その使用が可能であった。しかし渡し舟に乗って川を渡ろうと、橋を歩いて渡ろうと料金は同じであったという。
この絵で、雨に煙る隅田川の対岸に見える岸が安宅(あたけ)である。安宅とは、ここに将軍の御座船であった安宅丸の船塚があったことから付けられた名前である。
この絵は夕立が突如として降り出した瞬間を示しており、真黒な雷雲から降る大雨が、ほとんど垂直な線で表されている。橋の上では突然の雷雨に、通行人が慌てふためいている様子が巧みに表現されている。二人の婦人は、着物の裾が濡れるのを恐れて裾をたくし上げており、三人の男が一つの傘の下へ潜り込んで雨を凌ぎ、傘のない男は藁の筵を頭から被って歩いて行く。どの通行人も雨宿りを求めて急いでいるのが分かる。
この絵に興味を抱いた、オランダの印象派画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、この絵を模した油絵を描いている。この絵の中央を、右の方へ筏師が操って行く筏は、隅田川の上流で伐採した材木を、深川にあった木場(材木市場)まで運んで行くものである。
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