西の隅田川と東の中川とを結ぶ運河が、深川の北部を横切っていた。この運河は徳川家康が、行徳から行徳領で生産された塩を舟で江戸へ運ぶために掘られたもので、小名木川とも呼ばれていた。この川が隅田川へ出る手前に架かっていた橋が万年橋である。(参照 名所江戸百景No.97)
この絵には橋の欄干のみが描かれ、そして橋の上に置いたと思われる、手桶の把手(とって)から亀が紐でつるしてある。江戸時代には、庶民の間に仏教が盛んであって、捕らえられた鳥、獣、魚などの生き物を買い集めて、生きたまま、自然界へ放って、逃してやると神仏の御利益を期待することが出来ると信じられて、8月15日に放生会(ほうじょうえ)という儀式が、江戸の各地の神社仏閣で行なわれていた。この絵の亀も、放生会のために売られていたものと思われる。広重は中国の諺にある「鶴は千年、亀は万年」と、橋の名前の万年橋とから連想して、亀をここに洒落て描いたとも考えられる。
橋の欄干と手桶の把手が形作った枠の中に、隅田川、対岸の大名屋敷、さらには、丹沢山塊の上にどっしりと聳えた富士山が描かれている。
余談であるが、この絵の橋を右の方へ渡った先に、昔俳聖芭蕉が住んでいた芭蕉庵の古跡があった。有名な俳句「古池や蛙飛びこむ水の音」は、 43歳の芭蕉が、貞享三年(1686)の春に、この庵で詠んだ句である。
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