江戸時代前に、江戸湾沿いの東海道が開ける前は、江戸へ入る道は品川宿の南では高台を通っており、大井を過ぎた当たりに台地と平地とを繋ぐ八景坂(やけいさか)という坂があった。
八景坂の上の茶屋の前に古い松が立っていた。その昔八幡太郎義家が奥州征伐に行く途中、ここで休息し、鎧を脱いで鎧を掛けたので、鎧掛けの松と呼ばれていた。ある記録によると、この松は6~7丈(18~21m)に及ぶ背の高い松で、枝が柳のように垂れ下がり、地上4~5尺(1.3~1.6m)の高さで止まっていたという。
この坂上から見下ろすと、低地に水田が海岸近くまで開け、海岸に沿った東海道の松並木を行き交う旅人も見られた。さらにその先には広々とした藍色の江戸湾があり、その上には白帆を揚げた舟が点々と浮いていた。八景坂はもともとやげん坂と呼んでいたが、このように、この坂の上は景色が非常に優れていたので、この坂は後に、近江八景になぞらえて八景坂というようになったという。
この絵には、八景坂の上で眼下に開けた素晴らしい眺望を楽しんでいる人々の様子が描かれている。この坂へ登って来る人々は徒歩あり、駕籠あり、馬ありで、色々な人が訪ねて来たことを示している。
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