江戸時代初期には、この絵に描かれた地域は、北日本へ通ずる奥州街道が通っていて、旅人たちに荷物を運ぶ伝馬の継立(つぎたて)をしていた。伝馬町という名前は、この機能がこの町にあったことから付けられたものである。またこの町の近くには郡代屋敷という幕府の直轄地の訴訟を処理する役所もあり、この町は旅人ばかりでなく訴訟手続きをするために江戸へやって来た人々でも賑わう町であった。そのため、伝馬町には、一般の旅人を泊める宿屋や訴訟の手続きに来た人を泊める公事宿(くじやど)だけでなく、日用品を売る店が大通りや小路に立ち並んでいた。
大通りに大きな店を構えていたのが木綿問屋である。木綿商売をする人には伊勢出身の商人が多く、木綿問屋には伊勢屋を名乗る店が多かった。この絵は大通りに面して並んだ木綿問屋を示している。店の入り口には屋号を白抜きした藍色の暖簾(のれん)が掛かっており、暖簾と暖簾との間からは、店内の畳の上に積まれた反物が垣間(かいま)見えている。店名は、右手前から田端座、升屋、嶋屋である。屋根の上にある生簀(いけす)のようなものの中には天水桶があって、防火用の雨水を貯めていた。
この絵の前景には問屋での仕事からの帰りと思われる二人の芸者が描かれている。長い裾の着物は歩くのに不便であり、竪褄(たてづま)を持ち上げて歩いて行く。当時の芸者の習慣として彼女らは足袋を履かないで外出した。
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