日本橋は江戸の中心にあり、この橋の上からは、朝東から昇る太陽を拝むことができ、また南西の方向には、江戸城や富士山までも眺めることができた。また日本橋は江戸と地方とを繋ぐ五街道、すなわち東海道、中山道、日光街道、甲州街道、奥州街道の出発点であり、江戸と日本各地との距離はこの橋から計測されていた。
この橋の両端の橋詰には、色々な河岸の市場が発達し、この橋の周辺は江戸における商業の中心地となった。この河岸へは米、魚、塩漬魚、野菜、薪などが舟で運び込まれ、陸揚げして江戸市民へ販売された。
雪景画に秀でていた広重は『名所江戸百景』シリーズの最初を飾る絵として、江戸で最も重要な場所の、日本橋の雪景色を描いている。前景に描かれた日本橋川の河岸は魚河岸ともいわれ、魚市場であった。河岸に沿って魚屋が軒を並べ、魚屋は舟で運んできた魚を家の裏で引き取り、家の中の陳列台に並べて売り捌いた。魚の最終消費者に魚を売る、いわゆる「魚売り」は、魚河岸で魚を仕入れ、盤台に入れた魚を天秤棒で担いで運んでいった。
日本橋には「お江戸日本橋七つ立ち」(午前四時)をすると思われる人々が描かれている。日本橋川の対岸には商人や手工業者の白漆喰(しろしっくい)の壁に囲まれた倉庫が立ち並んでいる。また日本橋の上流に見える橋は一石橋(いっこくばし)といった。この橋の俗名は八ッ見の橋で、No.45にも描かれている。
江戸切絵図を見ると、日本橋の脇に「此橋上ヨリ御城并富士山見エテ絶景ナリ」という注釈がついている。江戸市民は、ここの絶景を愛でるとともに、霊峰の富士山を拝み、江戸城にも敬意を表していたのであろう。
>> 専用額について詳しくはこちら