青山忠成の子孫・青山家が青山の地名の由来
収図範囲は、青山地区と神宮前、新宿区南部一帯。中央の東西を横断する道は「大山詣り」の大山道(青山通り)。通り沿いの百人町は、鉄砲隊・百人組の組屋敷。百人組・小島勘(助)次郎屋敷の借家に、脱獄した高野長英が隠れ住んでいた。通りを離れた青山大膳亮は、美濃郡上藩青山家の下屋敷。屋敷跡には明治5年に(1872)青山墓地が開設され、のちに青山霊園に改称された。屋敷わきの梅窓院は郡上藩青山家の菩提寺。畑地に記される長者ヶ丸とは、白金の「白金長者」に対する渋谷の「黄金長者」の邸跡の言い伝えから。伊予西条藩・松平左京太夫の屋敷を過ぎれば、宮益町・道玄坂へと到る。